立川談志が語る落語=イリュージョンについて

立川談志は常々落語とは、人間の業の肯定であるという主張をしていました。つまり、人間の業=人間の欲望や堕落した部分を否定するのではなく、人間とはこんなもんであるという風に肯定することが落語の神髄であるという考え方を持っていました。しかし、晩年、立川談志は落語は一種のイリュージョンであるということを言い出しました。

これは一見理解に苦しむ言葉なのですが、今回はこの言葉の解釈について自分なりの考察をしていきます。本来、お笑いとは非常識なものです。例えば、漫才ではボケという非常識な存在がいますね。一方でツッコミという常識的な存在がいて、彼らのやり取りを観客は常識の立場から見るわけです。これが一般的なお笑いの原理なのです。

では、舞台側の人間がすべて非常識な存在であればどうでしょう。非常識同士のやり取りは当人間では常識です。その中で観客は非常識な中に存在する常識を見るという体験をします。これが幻想的な幻惑的なイリュージョンのように映ると談志は考えたのではないでしょうか。